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ロヒンギャ難民村

セント・マーティンへの船が出ることで有名なテクナフには難民村がある。
ロヒンギャ難民村である。

ロヒンギャは元々ミャンマーのアラカン地方の人々でベンガル語を話し、イスラム教を宗教とする。
ベンガル地域とミャンマーを自由に行き来していたが、20世紀に入りミャンマー(ビルマ)での民族運動が盛んになる中、反ビルマとして迫害され始めた。
アウンサン=スーチー氏の民主化運動を支持したことから、ビルマ軍事政権は軍隊をして襲撃させ強制労働を課した。
そのため1991年のバングラデシュへの大量難民を生むことになった。
バングラデシュも南アジアの最貧国のひとつとされる。
彼らを保護できる余力はなく、ミャンマーへ帰らない難民への迫害も行われている。
現在はUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)や国際NGO、イスラムNGOが仲介及び援助をすることで成り立っているようだ(BurmaInfo参考)。

Photo 現在コックスバザールからテクナフにかけて、複数の場所に難民村があり、テクナフの船着場から車で約15分ほどの場所にある難民村は2年程前にできた村らしい。
その手前の海岸沿いにも白いテントが点々と並ぶ。
ここは欧州NGOが援助し、イスラムNGOが運営をサポートしているようだ。

少し話をしたのだが、帰れるものならばミャンマーへ帰りたいと言う。
しかし今後帰れる見込みは現時点でない。
働く場所も少なく、移動することもできない。
本国ミャンマーから迫害され、バングラデシュからもいやがられる。
彼らが自立できる道はないのだろうか。

しかし、こう言ってはなんだが、難民村はダッカのスラムとは比べものにならないくらいきれいである。
簡易住居なのだろうが、小さなバザールがあり床屋さんもいるし、ひとつの村の観。
ちょっとフクザツな気持ち。

Photo_2 不勉強で誠に恥ずかしいことなのだが、ミャンマーからの難民ということで東南アジアの顔立ちを想像していた。
しかし、見た目はベンガル人と同じで、管理人として常駐し、案内してくれた方も見分けが付かないと言っていた。

Photo_3 難民村にこんな食べものがありました。
お米で作った生地の中は黒糖(ナツメ糖?)とココナツが入っている。
おまんじゅうみたい。
これはミャンマー風。

通常は中への入ることはできないが、管理者の許可を得れば入らせてもらえる場合もある。

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コメント

テクナフの難民村には国境なき医師団の方が、
2年前(2007年)までいらっしゃいました。
日本人のスタッフの方もいたそうですよ。

チッタゴン丘陵地帯の奥のミャンマー近辺にも
外国人が出入りできない地域にも難民村があり、
現地人医師が活動しているそうです。


投稿: あだち | 2009年4月 4日 (土) 09時16分

>あだち さん
あまり外国人には見せたくない場所と聞いていましたが、様々な国際機関が支援しているのですね。難民キャンプや被災地で活動する方々には本当に頭が下がります。
チッタゴン丘陵地帯にもあるのですね。かなり範囲が広く数が多いという印象。それだけ難民がたくさんいるということでしょうか。
誰が悪いというようなことを言える立場にありませんが、昨年のサイクロンの時のミャンマー政府の対応を見ても、国民のためにもう少し考えを変えるべきなのではないかと思ってしまいます。

投稿: フジワラ | 2009年4月 4日 (土) 12時15分

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